【メッセージ】第3回只見線列車内プロレス特別ゲスト 鈴木健.txtさんより

今回只見線列車内プロレスの特別ゲストとして、実況中継をしてくださる鈴木健.txtさんよりメッセージを頂きました。twitterはこちらから。


 東京で育ったものの父が猪苗代、母が会津若松出身の私は毎年夏になると2週間ほど家族で福島に帰省していました。今思うと、時間に追われることなく過ごせる貴重な時代でした。まだ磐越自動車道がなかった1970年代は東北自動車道で郡山までいき、そこからは下道で磐梯熱海や猪苗代湖を望みながら車を走らせました。 

 先に猪苗代で過ごし、そのあと野口英世記念館や会津若松駅の横を通り過ぎて大沼郡新鶴村(現・会津美里町)へと移動。母の実家は只見線新鶴駅から徒歩30秒のところにある小料理屋で、家の裏へ線路が通っているため列車が到着するごとにその音が聞こえていました。 

 1時間に1、2本しか通らず地元の人たちも線路上を歩いて移動するような時代です。小学生だった私も線路を横切り、向こう側の田んぼへいって魚や蛙を獲って遊んでいました。 帰省中、会津若松の市内へ遊びにいく時に只見線へ乗るのですが、隣の根岸は無人駅で田んぼのあぜ道にホームがあるようなところでした。鮮やかなまでに緑が茂ったその風景は赤々と染まる夕陽の色と混ざり、追憶の中へ焼きついています。 そんな少年時代を過ごしたので福島には愛着もありますが、仕事でいったとしても両親の実家にはもう何十年も帰っておらず、たまにグーグルマップで見てすっかり景色が変わってしまったことを確認するぐらいです。

 そうした中、新潟プロレスさんを通じこのイベントの存在を知りました。 新潟プロレスのシマ重野代表と縁ができたさい、私は小さい頃の話をさせていただきました。そして「もし只見線プロレスの次回があるなら、車内で実況をやらせていただけないでしょうか?」と1年前にお願いしました。 

 私は2009年までベースボール・マガジン社が発行する『週刊プロレス』誌の記者として活動していましたが、退社しフリーとなってからは執筆と並行し試合のコメンテーターや実況もやっています。通常、実況はアナウンサー経験のある者、解説はそのジャンルに詳しい者が担当するのですが、私はその両方を経験させていただいてきました。 新潟プロレスさんとの縁も、動画配信サイト「ニコニコプロレスチャンネル」において試合中継をするさい、実況を務めたことでつながりました。走行中の列車内で実況するなど、そう体感できるものではありません。また、そうしたイベントプロレスは通常のものよりも面白おかしく、楽しく盛り上げる必要があり、かつてDDTプロレスリングが開催したキャンプ場プロレスで山の中を駆けずり回りながらしゃべり続けた経験が生かせると思ったのです。 

 このイベントが、2011年の豪雨災害で被害を受けた只見線の復旧を盛り上げるためのものだと知り、子どもの頃に馴染んだ線に対し少しでも力になれたらと思いました。同時に、新鶴駅まではいかずとも一本の線路でつながるところに“凱旋”できるなど、夢のようなものです。

  ありがたいことに、重野代表は私の願いを憶えてくださっていました。まさかこの仕事を続けてきて、こうした形で携わることができるとは…只見線とプロレスという、私にとって2つの大切なものを連結していただいた新潟プロレスさん、そして只見町観光まちづくり協会さんとの縁(えにし)に感謝するしかありません。

  当日は、同乗するプロレスファンの皆様と一緒に楽しみたいと思っていますが、果たして揺れる車内で立ったまま話して気分が悪くならないか、あるいは試合を追ううちにバランスを崩し、屈強なレスラーに巻き込まれないか(それはそれでいい見せ場になりますが)。一抹の不安こそありますが、アニメ『銀河鉄道999』のナレーター・高木均さんになったつもりで過剰なまでの情景描写をしたいと思っております。 


素晴らしいメッセージ、本当にありがとうございます。参加者の皆さん、当日、どうぞお楽しみに。

そして、まだ申し込みをされていない方、ぜひこの熱いメッセージを読んで、一緒に只見線列車内プロレスを楽しみましょう!

只見線列車内プロレス

2011年に発生した新潟・福島豪雨で大きな被害を受けた只見線は、11年という歳月をを経て2022年に鉄道での全線復旧をしました。大規模な災害に見舞われながらも復旧に向けて進んでいる只見線は、倒れても倒れても立ち上がるプロレスラーを彷彿とさせます。困難な状況に陥ってもあきらめず立ち上がっていく沿線地域と只見線を応援しています。

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